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 『輝安鉱(Sb2S3)の低温結晶構造解析と不活性電子対効果の温度特性』
  〜重元素は地球惑星内で硫化鉱物になぜ最も安定か?〜

<はじめに>
 原子番号で遷移元素の後ろにくる重い元素、特にTlSnPbSbBiは、不活性電子対効果と呼ばれる性質を持ち、その族の価数よりも2つ低い原子価となって安定化する性質があることが知られています(Cotton and Wilkinson, 1988)。そして、その結果生じた不活性なns2孤立電子対(n = 5, 6)が、立体化学的に活性となって、結晶構造中の配位環境に歪みを発生させています。しかし、これらの元素の配位環境は、その二次配位結合距離が著しく短くなる特徴があります。本来、化学結合に寄与しない不活性なns2孤立電子対であるため、周囲の原子とは反発力が発生して、不活性電子対を取り囲んだ原子とは、その原子間距離が大きくなるはずです。ところが、輝安鉱(Sb2S3; Bayliss and Nowacky, 1972)や輝蒼鉛鉱(Bi2S3; Lukaszewicz et al, 1999)、Paakkonenite (Sb2AsS2; Bonazzi et al. 1995)では、不活性電子対を挟んだ二次配位結合距離の長さが、その距離がファン・デル・ワールス半径の和よりも明らかに短くなっています。つまりこれは、”不活性”と言われる孤立電子対の電子雲にも、実際には引力が生じており、周囲の原子と結合関係を構築していることを示唆しています。したがって、輝安鉱(Sb2S3)や輝蒼鉛鉱(Bi2S3)、Paakkonenite(Sb2AsS2)等の硫化鉱物に対しては、"不活性な孤立電子が立体化学的に活性となっている”という説明にはやや疑問が残ります。また、このことは、不活性電子対効果を持つ上述の重元素が、地球惑星内では硫化鉱物に多く濃集し、安定に存在していることに対する何らかの答えを提示していると思われます。したがって、本研究では、"不活性な孤立電子”が硫化鉱物でも本当に不活性かどう検証するために、輝安鉱(Sb2S3)に注目して、Sb5s2孤立電子対の挙動と周囲の配位環境の変化を低温環境の下で観察しました。さらに、Sb5s2孤立電子対の軌道の結合状態を調べるために、バンドギャップエネルギーの測定を行いました。


<実験と結果>
 輝安鉱[Sb2S3, Pnma, a = 11.314(2), b = 3.837(2), c = 11.234(3) Å, V = 487.7(3) Å3, Z = 4, R1 = 0.0411, wR2 = 0.1120, 293K]の基本構造は、[010]に平行なSb4S6リボン構造であり、SbS3の三方錐とSbS5の正方錐によって構成されています。このSb4S6リボン間にはSb5s2孤立電子対が存在しているため、電子対反発によりリボン間距離が大きくなることが予想されるますが、測定の結果、リボン間距離は、3.375 Å、3.644 Åであり、これらはファン・デル・ワールス半径の総和(Sb-S = 4.03 Å; Bondi 1964)よりも明らかに短かくなっていました従って、Sb5s2孤立電子対が周囲のS原子と結合関係を構築している可能性が強く示唆されました

_____ 輝安鉱の結晶構造(黄緑:Sb、黄:S)

 さらに、輝安鉱の低温単結晶X線結晶構造解析を230、173、128Kで行いました。本研究では孤立電子対を取り囲む2種類のSbS7多面体を設定し、多面体の幾何学的変化をIVTONプログラム(Balic-Zunic and Vickovic, 1996)によって計算しました。その結果、2種類のSbS7多面体体積は、温度低下に従って収縮し、Sb5s2孤立電子対の立体化学的効果もそれに伴って収縮していきました。しかし配位形態を示す球形度の値は各温度で常に一定であり、全元素が等方的に収縮していることが判明しました。これは、室温で活性にあったSb5s2孤立電子対が、低温(128K)でも周囲の電子雲と結合状態を維持したまま変化していることを意味しています (下図)。

__ 128Kでの電子密度分布


___Sb5s2孤立電子対配置


 次に、輝蒼鉛鉱(Bi2S3)、輝安鉱(Sb2S3)、方安鉱(Sb2O3)のバンドギャップエネルギーを測定しました。その結果、バンドギャップエネルギーはそれぞれ、1.28 eV (輝蒼鉛鉱)、1.64 eV (輝安鉱)、4.31 eV (方安鉱)でした。これらの結晶構造のBi、Sb-S二次配位結合距離は、輝蒼鉛鉱、輝安鉱では、ファン・デル・ワールス半径よりも短く、方安鉱はファン・デル・ワールス半径よりも長くなっています。従って、バンドギャップエネルギーの低下は、これらの電子が周囲の原子の電子雲と結合していることに起因する可能性を示唆します。つまり、方鉛鉱の不活性なns2孤立電子対は、結合に対して完全に不活性となり、周囲の原子を反発させ、立体化学的活性になっているのに対し、輝蒼鉛鉱、輝安鉱の不活性なns2孤立電子対は、結合に対して活性で、周囲と結合関係を構築していることを示しています。
 さらに、このns2孤立電子対と周囲の電子雲との結合が、不活性電子対効果を持つ半導体物質は、そのバンドギャップエネルギーが著しく低下することに対しも有効な説明を与えてくれます [AlSb = 1.5 eVとAlP = 3.0 eV、GaSb = 0.7 eVとGaP = 2.3 eV、InSb = 0.2 eVとInP = 1.3 eV等 (West 1999)]。これまでは、このバンドギャップのエネルギー差は両者の電気陰性度の差が原因であるとされてきました(West 1999)。しかし、それだけでは十分な説明にはならない化合物も存在します[PbS (0.7) = 0.37 eVとCdS (0.8) = 2.45 eV、PbSe (0.6) = 0.27 eVとCdSe (0.7) = 1.8 eV、GaAs (0.4) = 1.4 eVとGaP (0.5) = 2.3 eV、PbTe (0.3) = 0.33 eVとCdTe (0.4) = 1.45 eV; (電気陰性度の差) (West 1999)]。従って、本研究で示した、『不活性なns2孤立電子対はバンドギャップエネルギーの低下に寄与する』、という考え方が、これらに対して合理的な説明を提供していると言えます。
 したがって、以上の考察から、硫化鉱物の結晶構造中では、不活性電子対効果はむしろ結合に関しては結合的な配位環境を形成しているため、これが地球惑星環境において重元素が硫化鉱物が濃集して最も安定に存在することが出来る理由の一つになっていると結論付けられます。


詳しく知るには:

Atsushi Kyono, Mitsuyoshi Kimata, Mamoru Matsuhisa, Yoshitaro Miyashita, Kenichi Okamoto: Low-temperature crystal structures of stibnite implying orbital overlap of 5s2 inert pair electrons. Physics and Chemistry of Minerals, 29, 254-260, 2002.



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